オンライン賭博の歴史
賭博は文字通り何千年も前から存在し、おそらく永遠に存在し続けるでしょう。人間の本性は賭博、つまり危険を冒して何か大きなものを勝ち取る希望に動かされるのです。
歴史の中で賭博は戦争に勝ったりいのししを捕まえる賭けなど様々な形で行われてきました。そしてさいころゲームや原始的なゲームがリスクを冒す捌け口となり、そして今日カードゲーム、ルーレット、スポーツ賭博やカジノゲームが登場するようになったのです。これらのゲームに共通するのは全て賭博者が特定の場所に集まり、相手のことを見聞きしたり匂いをかいだりすることができるということです。
カジノは賭博する華やかな場所とみなされ、魅力的で独特な雰囲気で遊ぶことができます。
これらはインターネットと呼ばれるテクノロジーの発達により変貌しつつあります。インターネットは様々な形で私たちの生活を変えました。カジノも例外ではなく、オンラインのものが急速に定着し、毎年数十億ドルの収益を上げるようになり、今日におけるオンライン産業の最も大きなものとなり、成長を続けています。
現在オンラインギャンブル産業はアメリカにおいて最近施行された反賭博法が大きな障壁となっていますが、歴史が示すとおり賭博は常に抑圧に負けず生き延びるでしょう。
オンラインギャンブル創世記
まず1994年にアンティグア・バーブーダという小さな島国がオンラインギャンブル産業の触媒となりました。その年にアンティグアでギャンブルを認可する法令を発効され、オンラインギャンブルの始まりとなっただけでなく、現在でも多くのオンラインギャンブル団体がそこを拠点として経営をしているのです。 オンラインカジノの開始以前にこの新しいチャンスに目をつけたのがゲームソフトでした。 イギリス領マン島に拠点を置くソフト会社であるマイクロゲーミング社は初めて完全に動作するオンラインカジノソフトを開発し、以後参入する多くのオンラインギャンブルサイトに道を開きました。 オンラインセキュリティーソフトを開発するクリプトロジック社はインターネットにおける金銭取引を安全に実行可能にするソフトを提供し、これにより1995年に初めてのオンラインカジノ、InterCasinoが設立されたのです。 しかしオンラインギャンブルも設立当時は順調とは言えませんでした。様々な、特に法律上の障害があり、反対する人も多くいたのです。論争は特にアメリカのアリゾナ州出身の上院議員ジョン・カイル氏により米国議会で扱われました。カイル氏はアメリカ市民をオンラインギャンブルから守るために反対キャンペーンを何度も行ったのです。
アメリカにおけるギャンブル
アメリカにおけるギャンブルは肯定的にも否定的にも見なされていました。世論は 何年もかけて進化・変化してきました。当時宝くじが主流だった1890年代ギャンブルは完全に禁止されました。1920年代になると世論はギャンブル合法化に寛容的となり、1929年の大恐慌により人々はギャンブルが経済を刺激する要因となると考え、1931年に完全にネバダ州で合法化され、ラス・ベガスがこの一連の動きの中心地となったのです。
1970年代になりクルーズやインディアンカジノの開始と共に2州を除きアメリカ全土で合法ギャンブルが認められ、ビデオゲーム、映画・音楽産業やテーマパーク全てを合わせた収益を越えるほど大きなものとなりました。
インターネット―新しい技術を利用してのギャンブル
20年後となる1990年代なかばにWorld Wide Webがギャンブル界に革命をもたらすことになります。技術の革新によりいつどこでもギャンブルができるようになったのです。
初めてのオンラインカジノには18種類のゲームが並び、ナショナル・インディアンくじにもオンラインでアクセスできるようになりました。1997年におけるオンラインギャンブル産業の収益は10億ドル、米国だけで6億ドルと報告されました。2001年には収益は3倍伸び全世界で30億ドルとなり、2004年にはさらに3倍近くの82億ドル、2006年になると150億ドルを越えるまでになったのでうs。オンラインギャンブル産業の予測として2010年に収益を250億ドルまで伸ばすと見られていましたが、アメリカ国内の法改正により修正されることになりました。しかし違法と見なされない国においてはこの産業の発展は確証されています。
現在と未来
2003年eCOGRA (eCommerce and online gaming regulation and assurance- eコマースオンラインゲーム規制と保証)という団体がオンラインカジノを安全に利用できる環境を提供するために創立されました。
オンラインギャンブル産業は様々な国、法律や規制の下に定着しているため、全てのオンラインカジノサイトを特定の規則とともにまとめることができる組織が必要となったのです。今日eCOGRAは100を越えるカジノサイトを統制、監視することによってこの産業の基準となっています。
2003年は特にアメリカにおいてカジノポーカーのブームとなった年でもありました。殆どオンラインポーカーという誰もが遊ぶポーカー以外の経験のなかったクリス・マネーメーカー氏がWorld Series of Pokerにおいて優勝し、250万ドルを獲得したことによりこのゲームが更に注目されることになったのです。ポーカー、特にオンラインポーカーがやっと良い世評を得るようになり、WSOPがTVでこの競技を放映したことにより更に人々の目に留まるようになり、暗いギャンブルというよりスポーツと見なされるようになりました。
しかしギャンブル界、特にオンラインギャンブル界にとって好調な時期はそう長く続きませんでした。既にアメリカ居住者にとってオンラインギャンブルを阻止するための試みが計画されていたのです。
2006年9月30日にアメリカ連邦議会は銀行やクレジット会社にアメリカ居住者のオンラインカジノ団体との取引を違法とするという法案を可決しました。この条例は全く関係のない港におけるセキュリティーという法案に提出直前に書き足され、同年10月13日ブッシュ大統領により施行されました。
これにより主要なオンラインカジノ会社の株価が急落しました。Party Pokerを運営するParty Gaming社は56%、888 holdingsが27%株価を下げ、56%ダウンのSportingbetは1330万ドルという負債を処理するためアメリカ部門をJazette Enterprises社にわずか1ドルで売却することを強いられました。
このような挫折にも負けずオンラインギャンブル産業は生き延びるでしょうが、アメリカにおける収益が全収益の半分かそれ以上にもなるカジノ会社にとっては最大の困難に遭遇したことを否めないでしょう。オンラインギャンブル産業にとっては致命的であると同時に興味深い時期に入ったとも言えます。経営状況が元に戻り、以前よりもより強い基盤を築き上げるか危機にもどうじない大手だけが生き残るかが見どころとなります。